創業55年、美術刀剣の研磨・白さや・はばき・塗・柄巻・その他諸加工一式を生業としております。
日本刀の他、短刀・脇差・太刀・槍・なぎなた等、刀剣とされるもの全ての加工を承ります。
また、美術刀剣を購入されたい方には刀匠をご紹介差し上げております。
刀剣に少しでも興味のある方!刀剣の所持に免許は必要ない事をご存知でしたか?
この様なちょっとした疑問でも承ります。お気軽にご連絡くださいませ♪
二代目刀剣研磨師
田中 晃一(たなか てるいち)
下地砥ぎ - 第一工程 備水砥(びんすいど)
下地砥ぎ - 第二工程 改正名倉砥(かいせいなぐらど)
下地砥ぎ - 第三工程 中名倉砥(ちゅうなぐらど)
下地砥ぎ - 第四工程 細名倉砥(こまなぐらど)
下地砥ぎ - 第五工程 内曇砥(うちぐもりど)
仕上げ砥ぎ - 第六工程 刃艶(はづや)
仕上げ砥ぎ - 最終工程 地艶(じづや)
磨き
インターネット等で販売されている刀剣は、状態が良くない物が多いのが実情です。一見、美しく見える刀剣でも、本来の輝きからは程遠いものもございます。以下に研磨する前、後の写真を掲載しておりますので、仕上がりの参考にしていただければ幸いに思います。
「刀剣の素晴らしさを多くの方に知って欲しい」そんなコンセプトで開催されたヱヴァンゲリヲンと日本刀展。刀剣の里岡山は備前長船刀剣博物館から始まり、全国の博物館で好評を得ることができました。その中のメインである「ロンギヌスの槍」を打った刀匠、三上貞直さんとは一緒にお仕事をさせていただいた事があり、ご紹介可能ですので「ちょっと話を聞いてみたい!」など、少しでもご興味ありましたらお問い合わせください。
1995年、赤羽刀(※1)の中で、「備前長船刀剣博物館」に譲渡された以下の刀剣を研磨させていただきました。
どのお刀も名工の作刀によるもので、美しく研ぎ上げることが出来、大変勉強になりました。
※1 … 赤羽刀(あかばねとう)は、第二次世界大戦直後の連合国軍占領下の日本において、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ)の指令によって接収された刀剣類のうち、廃棄処理を免れて後世に伝わった一部を指す通称。
徳川家代々に渡る因縁により、忌み嫌われ「妖刀」の名を冠した刀、村正。
徳川家の影響により、民間でも忌避されるようになった村正は隠され、時には銘をすり潰して隠滅したとされている。
その 銘がすり潰された村正の研磨依頼が入り、実際にこの手で加工致しました。
現存する作品が少なく、古刀最上作にして最上級品とされる名刀。そのほとんどが重要文化財として保管されている。
江戸時代に活躍する数少ない長船派の代表工である七兵衛尉祐定の作品。
応永備前から末備前の中間に位置する長船正系の名工、祐光の作品。「地鉄の美しさの祐光」で有名。
祐光と同時代、並んで評価される則光の作品。「刃紋の優雅な則光」で有名。
祐光、則光と同時代に活躍した法光の作品。現存作が比較的少ない。
室町前期を代表する備前の名工、盛光の作品。
国宝や重要文化財として保管されている作品が多い名工、長光の作品。
室町時代後期、末古刀期の長船を代表する刀工集団祐定と並ぶ二大刀工と呼ばれた清光の作品。
父京初代丹波守吉道が考案した簾刃を完成させて当時の和泉守国貞や河内守国助とともに大坂新刀の元を築いた名工。
倉時代末期から南北朝時代の刀工。現存作は太刀、短刀ともに多く、短刀の方に沸の強く覇気のある作風が見られる。
備前国の日本刀刀工の一派である「福岡一文字」の刀工。華やかな匂い出来丁子乱れの刃文が特色で国宝に指定されているものが多い。
新刀期を代表する名工で、位列は最高位である「新刀最上作」「最上大業物」に位置する。重要美術品を多数作刀。
徳川家康の取次ぎにより日本鍛冶宗匠の勅許をうけ、代々引継がれ、十代まで続く。
鎌倉時代末の文保頃の古入道国光を祖とする刀工群である宇多。宇多国宗はは国光の子で、大和伝の気質が強い。
善定一門の嫡系として関鍛冶の頭領と言うべき惣領職で「惣領家」と呼ばれる名門刀工。「兼房丁子」と言われる頭の丸い独特の刃を焼くことで有名。
新刀鍛冶の祖堀川国広門下の高弟で、国広没後の慶長十九年から元和元年の間に出羽大掾を受領したと言われている。
南北朝期を代表する山城国の名工として知られ、正宗十哲の一人と伝えられている。
加賀前田百万石では、「兼若の刀を持っている侍ならば嫁にやろう」と言われるぐらい、兼若は加賀正宗と謳われる程大変格の高い人気の名工。